我が街の熱中人(その9)

我が街の熱中人
今回の熱中人 吉田 高明さん(80歳)
(市内緑ヶ丘2丁目在住)
吉田 高明さんの写真
木工の熱中人
 天気の良い日に自治会館を訪れると、隣の家のガレージの中からコトコトと音が聞こえます。覗いてみると、そこには木工製品と、それを作る吉田さんの笑顔がありました。
 木工細工は、一見すると簡単なもののように見えますが、よく見ると細かいところまで丁寧に仕上げられています。
 作品を拝見させていただき、この方は素人ではないと感じましたので、詳しくお話を聞かせていただくため、本日(9月1日)、吉田さんのもとを訪れました。
生まれて80年木工づけ

 吉田さんのお父さんは、日本家具の製作を家業とされていたため、吉田さんは子供の頃から、職人の方々に交じって大工道具に触れていたそうです。
 また、昔から手先を使った作業が好きだったそうです。
映画で燃やすために作った城の写真
映画「乱」で燃やした城の写真
東宝撮影所の美術の大道具に就職
 
 戦時中は学徒動員にあいましたが、まもなく終戦となり、その後は家業の日本家具の製作を手伝われていたようです。
そして25歳のときに、叔父さんの伝手で東宝撮影所の大道具係に就職することになりました。
 入社当時、ちょうどゴジラの第1作の撮影があり、それが吉田さんの最初の仕事になりました。
 その後は58歳の定年まで、撮影所で撮影用のカウンター、テーブル、箪笥等の小道具づくり一筋で働かれました。
 三船敏郎などの有名な俳優に関する思い出、御宿や御殿場などの地方ロケでの思い出等、撮影所での思い出は数え切れぬほどだと言います。
 御殿場で日本アカデミー賞を受賞した「乱」の撮影が行われた時は、吉田さんと当時の同僚の方々が燃やすための城を作製しました。その記念の写真が左です。
定年後は主にボランティアで木工技術を生かす
 
 定年後は、狛江の東宝の下請け会社で木工技術を活かした仕事をしながら、自治会等の依頼を受け、自治会館や児童館の下駄箱、防災の名札掛け等を製作しています(写真)。
 依頼があればできる限り対応するようにしていると、吉田さんはおっしゃいます。
 定年後、次の会社で働き出されるまでの4か月間は、緑が丘2丁目の自治会館の建築もお手伝いされたそうです。
吉田さんが作った緑ヶ丘自治会館の下駄箱の写真
下駄箱(緑2自治会館)
吉田さんが作った緑ヶ丘2丁目自治会館の名札掛けの写真
自主防災の名札掛け(緑2自治会館)