"生涯学習ふれあいの場"  清新公民館更新日:2020/08/01

地域の話題

ロマン!サイコの花を求めて!その(1):句碑など


「陽炎や柴胡(サイコ)の原の薄曇り」

元禄3年(1690年)松尾芭蕉が詠んだ句です。当時の相模野は柴胡が一面に咲き誇っている状況を詠んだものと想われます。

その当時に想いを馳せて、芭蕉の句から柴胡をモチーフにしたものが選ばれて、句碑が建立されたり、相模原市制50周年記念の一つとして絶滅寸前のサイコの育成を試みたようですが、育てるのは非常に難しかったようです。

一回目は、私たちの近隣にある「柴胡」の俳句が刻まれた句碑や、その名が使われた墓地、相模原市民の歌などを紹介します。

また俳句集によって多少違った記述になっているようです。これは「柴胡の原」ではなく「糸」の草書体を「原」と読み違えたのでないかという説もありますが、定かではありません。

  • ・「陽炎や柴胡の糸の薄曇り」:猿蓑(出典)
  • ・「陽炎や柴胡の原の薄曇り」:芭蕉句選、俳諧一葉集(出典)

「陽炎や柴胡の原の薄曇り」が刻まれた句碑3点です

下九沢 小泉家の句碑(市登録有形文化財)

俳人利角(小泉茂兵衛幸隆)が建てたもので、当初はJR南橋本駅付近に建てられ、芭蕉塚と称していたが、明治2年(1869年)に小泉家に移設されたとされている。(写真はご当主の許可を得て撮影,相模原市教育委員会発行の文書から引用)

 

横山公園の築山の頂上にある句碑

寄贈:相模原ロータリークラブ 昭和57年(1982年)建立(裏側に記載あり) 相模原ロータリークラブ設立20周年記念事業として建立しました。(相模原ロータリークラブの談話)




柴胡が原 陸橋命名碑

「相模原公園前バス停」近くにあり、すぐ側に陸橋が作られた記念碑として、昭和53年(1978年)に神奈川県が建立した。(写真は何れも平成26年7月撮影です)


 

市営 柴胡ヶ原墓地と供養塔

句碑ではないが、清兵衛新田開拓者の墓地は各屋敷にあったものを、大正初期に地元民によって共同墓地として、南橋本三丁目に作られた。

その後、町営墓地となり、昭和25年に当時の町長が「柴胡が原」と命名したもので、ここでも「柴胡」が使われている。(清新のしるべより一部転載)



 




サイコの花のタイル:通称 リバティ通り(元アイワールド前)に

市役所と元アイワールド間の道路を「通称リバティ通り」と呼んでいますが、この通りの歩道両側に「ミシマサイコ」の花をあしらったタイルが20数枚埋め込まれています。

平成8年から9年に掛けて、街づくり事業整備計画で商店街活性化に向けた「街づくり懇談会」で、街路灯や付属物などに対する要望を入れて、サイコタイルを設置したとのことです。

当時の土木課職員が直接デザインを手掛け、タイルを作ったと、担当したKさんからお聞きしました。

  • S さがみはら
  • C シティ
  • L リバティ

サイコの花のタイルは、この頭文字を茎に見立ててデザインしたとのことで、素晴らしい出来栄えです。

設置以来、すでに20数年経ち、通行人に何気なく踏まれていますが、これからもこの通りを見続けてくれることでしょう。

この「リバティ通り」に来る機会がありましたら、ぜひ足元を確認して歩いてみましょう。




相模原市民の歌 作詞  植村 栄輔   補作  勝 承夫   作編曲  平井 康三郎

相模原市民の歌は、市民が普段の生活や集団活動の中で、明るく楽しくうたえる「市民の歌」をつくり、これをとおして愛市の精神をもりたてるために、昭和33年に製作されました。

歌詞は、全国に公募された中から選ばれ、同年の成人式で発表されました。市の「ひばり放送」の時に、お知らせとともに流れる歌です。ここでも柴胡の原の文言が使われています。


1.柴胡の原の昔より 希望輝く相模原
  代々の恵を地にうけて 幸あるわれら寄るところ
  光が招く 明日が呼ぶ
2.実りの波は野に丘に 夢も燃えたつ相模原
  青雲高く生産の 平和のけむりたつところ
  建設の歌わきあがる
3.ながれは清くゆうゆうと 絵巻はひらく相模原
  季節のいろをちりばめて 文化の花の咲くところ
  われらがまちに栄あれ


相模原市ホームページより引用 : 一部加筆



ロマン!サイコの花を求めて!その(2):柴胡編


「柴胡:サイコ」は、和名を「ミシマサイコ」と云います。

江戸時代の蘭学者、渡辺崋山は「遊相日記」で次のように書き残しています。(天保2年 1831年 相州厚木に赴いた時の日記)

「鶴間原出づ。この原、縦十三里、横一里、柴胡多し。よって柴胡の原とも呼ぶ。諸山いよいよちかし」

当時の相模野は、ミシマサイコの花が咲き誇っていたのでしょう。

そして、ミシマサイコはその後、どうなったのでしょうか・・・・


市立相模原麻溝公園で、ついに「ミシマサイコ」の花を見つけました。うれしい限り・・です!

所長さんはじめ、職員の皆さんが丹精込めて大切に育てていました。機会がありましたら訪ねて見て下さい。 約20株程あり、花の時期は7月から10月位までです。

「ミシマサイコ」の栽培場所は、市立相模原麻溝公園管理事務所でお尋ねください。

市立相模原麻溝公園 平成26年7月21日撮影(花弁に付いた小さな昆虫まで写りました)


下溝「モナの丘ハーブ園」様 写真提供 平成16年10月24日撮影


市立相模原麻溝公園:平成26年8月8日 撮影

市立相模原麻溝公園:平成26年8月8日 撮影


市立相模原麻溝公園 H26.8.12

下溝「モナの丘ハーブ園」様より

市立相模原麻溝公園 H26.8.12


ミシマサイコは茎が細く繊細で、風が吹くと揺れて写真を撮るのが大変でした。

相模原市立博物館研究報告(第14集)より

柴胡(ミシマサイコ)は、どうなったのでしょうか?

柴胡の名前は、中国の本草学のバイブルともいえる「本草綱目」(李時珍,1596年)に登場し、生薬として利用され、解熱、抗炎症、鎮痛、解毒薬としての効用が認められています。

特に根に含まれる成分であるサポニンの効用が高いので、江戸時代に、相模国の良質な柴胡の根が朝廷に献上されていたことを示す文献が多数あるようです。

そして、柴胡の根を農家が副業として掘り取り、買い付け業者に売って現金収入の足しにしていたようです。


「柴胡が原」と呼ばれるほどに咲き乱れていたサイコは、現在、相模原に自生しているところは全くありません。

その原因として、集中的に根こそぎ採取されたためと考えられます。江戸時代の後期には、すでに相模野では、ほとんどサイコが採れ無くなっていたことが文献に記されています。

そして、いま、ミシマサイコ「環境省 絶滅危惧Ⅱ類」に指定されています。


まとめ

・掘り取りが集中的に行われ自生地が消滅していった

・秣場(牛や馬の餌のための草刈り場)が無くなり、生育に適した環境が減少した


【この項は、相模原市立博物館研究報告(第14集)2005年3月(平成17年3月)に発表された学芸員秋山幸也氏の論文を参考にさせて頂きました】




栽培で育て広めていくことは?

相模原は、私たちとってかけがえのない故郷であると同時に、古来からあった「ロマンの花:サイコの花」に、拘りを持ち続けていきたいものです。

サイコの自生が望めないなら、栽培して増やしていく取り組みを、大きな輪にして進めていく方法は無いものだろうか・・・


どのような手段があるのか分かりませんが、今回、取材を進めて行くうちに切実に感じました。







サイコの花に関連した話題!その(3):清新小学校編


地域の拠点校である清新小学校は、昭和30年に誕生し平成27年に創立60周年を迎えました。清新小学校には、ミシマサイコに関連するものがいろいろありますので、紹介していきます。


1.清新小学校 校章

校章の由来について、2階の会議室壁面に記載された額縁がありました。


校章のこと 校章を考案した人 小山唯治

相模原はその昔、柴胡ヶ原と呼ばれていました。いつの頃からさいこが原」と呼ばれていたかは知りませんが、芭蕉の句にもあるということから、古い頃から呼ばれていたのでしょう。

「さいこ」というのは野草ですから、柴胡というよび名を知っていても実際にその草を知ってい人は少なかったようです。その「さいこ」が、今の清新小の北側の雑木林にたくさん植えてありました。その雑木林を私たちは「でいらくぼ」とよんでいました。でいらくぼはさいこの群生の地だったのです。

柴胡ヶ原の語源はここかなと思わせる程たくさんありました。そこで柴胡ヶ原に建った小学校章にと思いマルバサイコの花を図案化して作ったのが校章の原図です。

さいこの花も近頃はないことでしょうが、その名、その形だけでも残したいものです。

(元横浜市田奈山内中学校長)



小山先生考案の校章


教職員室入口のオブジェ 第29回 卒業生一同


体育館入口の校章


2.小学校 校歌

作詞 中村雨紅 作曲 海沼 実

 

1.光あふれる 相模原 緑の花の ゆりかごか
  日ごとに栄える わが学校 仲よく元気に 学ぶわれ
  明るく正しく 伸びてゆく
2.丹沢 雨降嶺 相模川 見はらす窓に 校庭に
  きょうも清らに 吹く風は あしたは世界を わたる風
  夢も大きく わいてくる
3.柴胡の原の 月のかげ いまぞにぎおう 屋根の上
  朝に夕べに 進む世に たゆまずうまず よく励み
  文化と平和を 築くわれ
  ああ われら かがやかな 清新小学校


校歌を作詞した「中村雨紅」は、有名な童謡の「夕焼け小焼け」を作詞した方です。作詞場所は八王子が定説になっていますが、この歌が発表された年月から、養子で入籍した相原村(現町田市)で作詞されたのではないかという説もあるようです。




3.さいこが池

校庭とプールの間にある池は「さいこが池」と呼ばれています。

清新小学校創立50周年記念誌によると、緑化事業の一環として、この池は昭和39年に内山昌亮氏から寄贈されたとのことです。

そして表示板は26年度の卒業生が27年3月20日にペンキで加工したとの記述がありました。


身近にある公園は、軍都・学都計画の中で策定された


昭和12年に、いまの座間市や麻溝に陸軍士官学校などが建設され、学校や病院施設が多く「軍都」と言われました。翌13年に、北部に陸軍造兵廠はじめ軍需工業都市の計画が進められました。


その後、15年に軍部の意向を受けて、神奈川県による「相模原都市建設区画整理事業」が始まりました。

区画整理事業は、50年先を予測した計画で、幹線道路の幅や区割りは、航空写真による図面を基にして、当時あった道路や家屋敷などを、全く無視して線引きされました。

その軍都計画が推進されたために、現在の相模原市街地の区域は、升目のように整然とした道路区割りになっている地区が多くあります。 そして、いまその恩恵を受けているのも事実です・・・


昭和15年に軍部の意向を受けて始まった神奈川県による土地区画整理事業:相模原駅前分◆


「相模原2丁目すみれ公園」  「矢懸(やがけ)公園」  「比丘口(びくぐち)公園」

地域の公園として身近に利用されていますが、当時の軍都計画の中で公園の区画も決定しました。

(清新のしるべ:昭和編より 一部加工して転載)

各公園は夏まつりで盛り上がる

普段は静かな公園も、夏祭りの時期になると、俄然にぎやかになります。

各自治会が出店し、焼き鳥、焼きそば、ソーセージや飲料が販売されて行列を作ります。

舞台の上では、カラオケ大会でのど自慢や踊りが披露されたり、豪快な和太鼓の響きに併せて輪になって、盆踊りが華々しく行われ地区の老若男女の皆さんが集まり楽しみます。

比丘口公園で行われた祭りでは、翌日に「子ども神輿」が地区町内を練り歩き祭りを盛り上げました。


普段は静かな中央1丁目にある「比丘口公園」

町内を練り歩く「子ども神輿」がいよいよい出陣!


矢懸公園では夏まつりが行われる

清新3丁目にある広々とした「矢懸公園」


相模原2丁目にあり「相模原2丁目すみれ公園」となっている

写真はいずれも平成26年8月に撮影したものです。

地域の「清新ふるさとまつり」が行われました


清新地区自治会主催「清新ふるさとまつり」が、今年も清新小学校のグランドで盛大に行われました。

清新地区各自治会の皆さんによる、焼き鳥・たこ焼きなどの出店や、日曜日はお化け屋敷も。

土曜日はあいにく夕方から雨が降り出しましたが、時間を繰り上げ花火も大成功に・・・。

来年も楽しみですね!


前日にお化け屋敷飾り付けする

模擬店に行列が出る

真剣に「たこ焼き」を作る皆さん


お店の前はたくさんの人が

オープニングステージ

ライブショーに聞き入る


やぐらの前では和太鼓も

雨にも負けず花火が上がる

日曜日のこどもコーナー


おばけ屋敷は大人気だ

鼓笛隊の素晴らしい演技

待ちに待った抽選会では・・

地元の守護神!氷川神社について


清兵衛新田の開墾歴史の中で欠かせない、地域の守護神「氷川神社」について紹介します。

氷川神社は幾多の苦難を乗り越えて地元の守護神として崇められてきました。いまは、地域の神社として年始から年末まで、多彩な行事とともに地域住民の心の拠り所となっており、清新四丁目にあります。


天保14年(1843年)村の鎮守の神として、小山村の豪農、原清兵衛が新田開発をするにあたって、八王子の尊社氷川神社から分霊を受け、ここに創建したと表記されています。奉祀されているのは「素盞鳴尊」(すさのをのみこと)で、天照大御神の弟神となります。


本殿は、相原にあった「外の御前社」(そとのごぜんしゃ)を、神意により移築したものと伝えられています。

境内にある「開墾記念碑」は明治45年に建立され、清兵衛新田開拓入植者80人の偉業について記されています。書(揮亳:きごう)は、第15代将軍徳川慶喜(とくがわよしのぶ)公によるものです。

【表記の大半は、境内入口にある相模原市観光協会の立看板より転記しました】




明治32年に、相原・橋本・小山・清兵衛新田の四村の合併で相原村となり、娯楽の少なかった当時は、氷川神社のお祭りが唯一の楽しみであったようです。

お祭りには地域の人々が寄り集まって、出しもの(歌舞伎等)や、手品・曲芸などのほかに、八王子や上溝など他の地区からの出店もあり、参拝者も多かったようで、大いに賑わい楽しんだことでしょう。 また当時のお祭りでの御馳走は、酒まんじゅう・コンニャク・貝の紐の煮物などだったようです。

【表紙挿し絵と文は「清新のしるべ」から引用しました】


そして、いまは各種御祈願、御祈祷、神前結婚式から、初詣、家内安全、商売繁盛、厄除け、七五三、地鎮祭など幅広い内容になっています。

特に、初詣の後に行われる「古札焼納祭」(どんど焼き)は、毎年1月14日に行われ、前年のお札を燃やす行事が行われます。ここでは、神社から竹の棒の先に付けた米のダンゴが配られ、どんど焼きの火にかざして焼き、これを食べると風邪を引かないと云われ多くの参拝者が訪れます。

【古札焼納祭(どんど焼き)の項は、市の石造物・景観調査から転記しました】

【文面の全般について、氷川神社宮司に精査していただきました】




上の小さい写真にマウスの矢印を当てると拡大写真になります


  • 氷川神社境内前(撮影日:2014年7月7日 以下同じ)

  • 灯篭(本殿一対の一つ)

  • 開墾記念碑:書は第15代将軍徳川慶喜(とくがわよしのぶ)公

  • 常夜燈や石碑、道祖神

  • 本殿

  • 福徳稲荷

  • 子育て地蔵

  • 1月14日に行われる「どんど焼き」(市の石造物・景観調査書から転載)

  • 七五三でたくさんの人が詣でる(市の石造物・景観調査書から転載)

街を守る「清新消防団」の活動を紹介します


◆沿 革◆

清新消防団の歴史は古く、最近では、橋本、相原、宮下、相模原方面を管轄する相模原消防団第2分団第5部として活動してきました。平成24年4月に体制が変わり、1団6方面隊(中央、南、北、津久井、相模湖、藤野)体制となり、清新消防団は「相模原市消防団中央方面隊第4分団3部」という名称に変更されました 


◆消防団の主な活動◆

火災消火活動、台風など風水害の警戒活動、管区区域内での防災訓練指導等が主な活動

また、年末、及び春秋の火災予防運動の際は区域内の広報活動等


◆装備について◆

消防車に可搬型動力ポンプ 1台、消火用ホース、ノズル、発電機、投光器、救助用工具等 を搭載


◆課題、その他◆

・私たち団員は大きな災害は幸いに経験していません。これも地域の皆さんが防火、防災意識が高いものと思われます。

・どこの消防団でも共通の悩みだと思いますが、団員の確保が問題となっています。清新消防団は定員12名に対し現在10名と定員割れしています。団員の募集をしています。

一度詰所に遊びに来てください。お待ちしています。

・また、以前は商店の若旦那等が団員でしたが今はサラリーマンが殆どのため、平日昼間は手薄になっていることも課題です。


私たち消防団は日夜訓練に励んでいます


消防団車両(車庫はすみれ公園にあります)


技能大会(緊張しています)


消火ポンプエンジン始動

水の勢いで体がぶれます

子ども達を守る「清新小学校みまもり隊」の活動を紹介します


◆発足の経緯◆

平成19年、通学時において児童を交通事故、不審者などから守るため各小学校に見守り隊の設立が要請されました。当初は参加者も少なく学校長から呼びかけもあり登校時はいいが、下校時を見守りことになり、清兵衛の会、清新第一明寿会、すみれことぶき会、仲町ことぶき会、中央4丁目自治会、PTA関係者で平成21年4月に見守り隊が発足しました。 総勢31名で行っています。


◆その他活動◆

特に清兵衛の会では、社会貢献活動として、清新小学校の校内美化活動に参加し、また体験授業として1年生を対象に「昔の遊び」、3年生を対象に「昔の暮らし」について毎年行い喜ばれています。


◆最近の小学生気質◆

小学生は昔からそうですが 元気が良いことがまず言えます。小学生には、みまもり隊も挨拶を交わすようにしていますが、必ず返事が返ってきます。地域とのつながりも出てきます。


◆課題、その他◆

・児童の安全は地域全体で支え、取り組むことで達成できると思います。見守り活動が地域の方々に認識され地域として安心・安全が維持できるよう継続した努力が必要と思います。

・最近見守り隊には、若い方の入会が無く、高齢化が進んでいます。体調などを崩すと代わりの方がいません。多くの方が参加されることをお願いいたします。

金井 昭 記

◆子どもの安全に取り組んでいます◆


みまもり隊の皆さん(清兵衛の会)


暑い日でした。ご苦労様


元気な1年生

こどもセンター前交差点

お年寄りの健康を守るラジオ体操が始まりました


「地域福祉を考える会議」において、閉じこもり予防や健康の増進を図るためラジオ体操を行っています。
 5月21日には、NHKのラジオ体操でおなじみの長野信一さんをお招きして、ご指導をしていただきました。近隣より100名近くの方が参加!

ラジオ体操は、気軽にできる健康増進、仲間づくり、地域の活性が図れる等注目されています。


実施日時◆

毎週木曜日、午前7時30分開始(雨天中止)


◆実施場所◆

やがけ公園(清新3丁目9番)


◆対象者◆

運動に興味のある方どなたでも参加できます(早朝のため体調に支障のない方)


◆支援団体◆

清新第一明寿会、清新楽寿会、民生委員・児童委員、清新第二自治会、他


◆爽やかな空気の中で◆


長野さんのあいさつ

田邉第一明寿会会長、長野さんの挨拶


長野さんの指導により開始

長野さんの指導により開始


皆さん昔を思い出して体操

皆さん昔を思い出して体操


1,2,3,4・・・

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