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城山エコミュージアムの旅 

今までの城山エコミュージアムツアーで歩いたルートをもとに、10のコースを作りました。
現在、城山公民館発行『館報しろやま』にも連載中です。

【ご注意】この表の歩く時間は、見学時間は含みません
見学の際には、近隣の方のご迷惑にならないよう注意しましょう。
現地をあるがままに見学しましょう。(動植物等の持ち帰りは厳禁です)
現地の案内をよく確認して歩きましょう。
  ルート名・歩く時間 歩くルート・解説
    
   城北コース
「詩人八木重吉のふるさと」


(歩く時間 83分)


ルートマップ(工事中)

 早世の詩人八木重吉は明治31(1898)年東京府南多摩郡堺村大戸に生まれ、小学校の高等科は神奈川県川尻村の川尻尋常高等小学校に通いました。当時川尻小学校には後の作家加藤武雄がいました。この城北コースは、川尻小学校からスタートしますが、校庭には八木重吉の詩碑「飯」と加藤武雄作詞の校歌の詩碑がならんでいます。重吉になったつもりで下校コースをたどると川尻八幡宮、小松薬師堂、明観寺、いったん東京都へ出てから雨降地区の辻の地蔵尊、大銀杏が見事な大戸の観音堂、そして八木重吉記念館の静かなたたずまい。記念館のすぐ南の町田街道沿いの墓地には十字架が刻まれた重吉の墓、そして妻登美子、愛児桃子と陽二の墓石が並んでいます。墓地の少し南を重吉がうたった「ふるさと川」境川が流れており、その先に伝説の下馬梅があります。この境川の上流には、アブラハヤやホトケドジョウ、ホタルなどがすみ、カワセミにも出会えます。

  
 2   
原宿用水コース
「400年前の街づくりを伝える原宿」


(歩く時間 40分)


 

 江戸時代初期、山地の産物と平野部との交易のために川尻村の二人の名主が協力して久保沢市が開かれました。間もなく代官の裁定によりもうひとつ市を設けることとなり、原宿の場所が選ばれました。開発には村の北を流れる境川から取水し、約3kmの間を掘削する大工事をして用水が造られました。これは有名な玉川上水工事以前のことです。用水は、現在の広田地区から取り入れ、小松川を渡り町屋の砂地区を通り、川尻八幡宮の参道を横切り、原宿自治会館の辺りから東に曲げて道の中央を流しました。原宿はそうした事情から「計画された市場まち」です。寛永7(1630)年には34軒が道の両側に並び、家屋の裏は短冊の形に整然と区切られた畑が続き、用水の終末は水田にもなっていました。原宿用水は昭和30年代までの約400年間原宿の人々の生活を支えてきました。

  
 3   
久保沢・谷ケ原・若葉台コース
「地域の開発―今と昔―」

(歩く時間 124分)


 
 この地域は城山地区の中央部です。市登録有形民俗文化財の久保沢観音堂(百体観音)の脇道を登ると7世紀に造られた春林横穴墓群、川尻八幡宮境内には古墳の石室があります。神社の拝殿の中には、市登録有形文化財の川尻八幡宮本殿・春日社本殿が納められています。久保沢宿には寛永年間に市が開設され、昭和30年代まで地域の商業の中心地でした。久保沢谷津に昭和52(1977)年、約50ヘクタールの広大な山林が開発され若葉台団地が造成されて人口約3,000人の街が生まれました。若葉台の尾根道から飯縄権現に出ると、眼下には津久井湖、丹沢の山々を展望できます。谷ヶ原には、縄文時代の生活跡が残る国指定史跡川尻石器時代遺跡があります。昭和17(1942)年に給水を開始した谷ケ原浄水場や昭和18(1943)年に運転が開始された津久井発電所があり、神奈川県の上水道、電力事業の重要な拠点になっています。


  
 

大山みちコース
「昔の信仰を物語る『大山みち』」


(歩く時間 71分)


 

 江戸時代、伊勢原の大山信仰が盛んとなり江戸をはじめとして各地の庶民が家内安全・商売繁盛を求めて大山詣りを行いました。そのため各地に「大山みち」が開かれ、参詣者への便宜のため「大山道」の道標が置かれるようになりました。御殿峠―橋本―田名の大山道はよく知られていますが、近くには七国峠(町田市)―相原―大島あるいは相原から原宿という道もありました。城山地域では川尻八幡宮の鳥居左隅に大きな自然石があり、「左大山みち」と刻まれています。左は参道を下って原宿方面を示しています。また、原宿自治会館の前には「大山石尊大権現」と刻まれた不動明王座像があり、左側には「小くら渡場道」と書かれ道標になっています。道標に沿って左(南側)に進むと、向原の山王林(石製の標柱)脇を通り急な坂道を下って相模川の渡船場に続きます。往時は荷物を載せた馬が往来したのでしょうか。道のかたわらに馬頭観音が祀られています。多くの参詣人は渡船場から厚木方面に向かいました。
 
  
    
相原界・大島界コース
「相模野台地を歩く
―『鎌倉みち起点』から
横浜水道トロッコみち―」


(歩く時間 109分)



 
 
 相模野台地は北から南へ緩やかに傾斜し、相模川に沿って三段の段丘になっています。城山総合事務所の近くにある石碑「鎌倉みち起点」から鎌倉みちは相模川がつくった緩やかな段丘の上を通っています。この道が「八里橋なし九里の土手」と言われた鎌倉みちと伝えられています。段丘の中段の大島境には江戸時代から続く山野の集落があります。境界を侵して畑を耕作する人達がいたので、川尻村から三軒の家が移住し「三家」の地名になったと伝えられています。明治20(1887)年段丘最下段の崖地に横浜水道の敷設が行われました。木橋を架け崖を開削して内径約40pの鉄管を敷設しました。崖の相模川沿いが切通しにされ、広葉樹に覆われ、玉石積みの石垣が続いているトンネルのような道です。その名は「横浜水道トロッコ道」と言われます。

  
 

城山湖コース

『里山を育む水の恵み″』

(歩く時間 85分)



  
 
 
 籠山(標高350m)と城山湖があり、金刀比羅宮の境内から遠望すると東京・横浜方面が見えます。山腹に水難除けと雨乞いを願う神、金刀比羅宮が文化元(1804)年に勧請創建されています。足元には神奈川県で最も古い岩石の地層「小仏層」が見られます。 昭和401965)年城山ダム完成とともに城山湖と揚水式発電所ができました。本沢ダムの麓、穴川には江戸時代から良円山弁財天が祀られてます。平成61994)年地域の人々によるホタルの保護や川沿いにアジサイの植栽活動が進められており、初夏の風物詩になっています。城山湖の近くには加藤武雄の文学碑があります。また、小松には小松城址や室町時代の石灯籠(市登録文化財)がある宝泉寺があります。
  
7 
都畑(城山)・中沢コース
『変わりゆく道と変わらぬ姿』



(歩く時間 46分)



 

  古道「甲州裏街道」とも言われ甲府への道筋であったこの地域には、明治期に南側に新道が開通しました。昭和40年には城山ダムができ、津久井湖が誕生しました。平成の今、首都圏を取り巻く圏央道ができてまた大きく変化します。
 この地は文人墨客を輩出し、文化交流の盛んな地でした。江戸時代の俳人四方庵?(よもあんほう)水(すい)の墓、同末期の文人喜多(きた)梅(ばい)厳(がん)の碑や明治期に祭り囃子を周辺地域に広めた柳川長吉の墓などがあり、また、大正昭和初期に活躍した作家加藤武雄の生家があります。中沢の普門寺には県指定重要文化財の鰐(わに)口(ぐち)や、新築改修した仁王門と仁王像、相模原市指定文化財の観音堂、聖観音菩薩立像が祀られています。都井沢の観音様(慈眼寺)には今も安産祈願の布袋がかけられています。近くに化け地蔵の伝説がある地蔵もあります。普門寺の南側には樹齢600年、幹回りが日本一といわれるウラジロガシの巨木や沢の上流に当地で珍しいアオナラガシワが見られます。

  
   8
津久井城址(宝ヶ峰)コース
『自然と歴史のカンヅメ津久井城址』



(歩く時間 85分)


  

 
 
 戦国時代、津久井城は小田原北条氏が甲州武田氏への備えの出城としました。江戸時代には廃城となりました。江戸時代、幕府直轄地とされたので城の遺構などが自然とともによく保存され、今後の調査が期待されています。
 昭和30(1955)年昭和の合併時、町名を募集して「城山町」と決まりました。相模丘中学校の校歌は「♪ひとり立つ宝が峰のゆるぎなき姿尊し」(作詞・加藤武雄)で始まり、城山(標高375m)の偉容をたたえています。
 また、山麓は貴重な動植物の宝庫で、オオムラサキやアサギマダラの蝶や、シモバシラ、キジョラン、サイハイラン、カンアオイなどの植物と、リスやムササビなど数多くの動物が見られます。かつて山頂には推定樹齢900年ともいわれる大杉がありましたが、平成24年落雷により焼失しました。

  
9   
小倉コース
『相模川と人々の暮らし』



(歩く時間 85分)



 
  江戸時代の小倉村は、いかだ流しや厚木や須賀(平塚市)の間を往復する高瀬舟で薪・木炭・米・塩などを運行させ、川漁も盛んに行っていました。明治期の長屋門を活用した寔(しょく)水館(すいかん)には、漁具や農具を展示しています。小倉八幡神社には板垣退助の題字のある田野倉仙蔵の記念碑があります。明治22(1889)年小倉村と葉山島村の二ヶ村が合併して湘南村となりました。相模川を中国湖南省の湘江に見立てその南側の村であるということで村名にしました。現在湘南寺や湘南小学校としてその名をとどめています。
 小倉橋下には「小倉の渡し」といわれた渡船場がありました。交通が盛んになり、昭和2(1927)年に木橋が架けられました。昭和13(1938)年にコンクリート製の小倉橋が架けられ、平成16(2004)年には新小倉橋が完成し、新旧の小倉橋の風景は地域のシンボルになっています。
 かながわの名木100選に選ばれたスダジイ(諏訪神社)や、大カゴノキ(小倉八幡神社近く)があります。湘南小学校付近の河原では、カワラノギクが秋に彩りを添えています。

  
10   
葉山島コース
『豊かに広がる水田に見る開拓の遺産』



(歩く時間 63分)




  
 

 このあたりの相模川は緩やかな流れとなり広々とした河原の風景が見られます。背後の里山の細道に一歩踏み入れると、シダの群生が見られます。さらに登るとそうせい滝があり滝壺脇には石仏があり昔からの信仰が伺われます。地蔵像のある蓮葉寺は明治初期に小学校になったこともありました。東林寺の北の沢を登ると姥石伝説がある丸石が見られます。齋藤・中里姓の多いこの地には、北条・武田勢が戦った三増(みませ)合戦の落人が住んだという伝説があります。江戸時代から対岸の大島に通じる「下倉の渡し」や田名に通じる「下河原の渡し」がありました。高田橋ができてからも近くて便利な「渡し」は昭和40(1965)年頃まで利用されていました。
 東林寺の第34世齋藤法如は明治30(1897)年に地域の青年たちに中等教育を行うため東林寺教校を開校しました。また、村人と共に度々の洪水被害にもめげず河原を開拓して7.5haの水田を完成させました。この水田は今日も地元の人達によって受け継がれています。

  
  

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