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小山の昔語り(7月)

 

 農業のこぼれ話

水田の写真  今月の語り部は、先月に引き続き、宮下本町1丁目にお住まいの関口迪彦さんです。
  
関口さんの写真

 あまやかして育ててはだめ

ポンプ小屋の写真いまだ残るポンプ小屋と田植え後の人工水田
 小山の農業は火山灰の土地のため、作物が良くできませんでした。初め陸稲は、蒔いても芽が出なくて、何回も蒔きなおしていました。ほとんどの家では、陸稲より作りやすい「粟」を作っていました。戦後間もない頃の話ですが、どうしたら陸稲をうまく収穫できるか考えていました。特に陸稲は日照りに弱く、日照りが続くと、枯れてなくなってしまいました。日照りでれなくなった時は、20〜30センチで枯れてしまうので、引き抜いて植えなおしました。ところが一部抜かずに無造作に踏みつけておいたところ、理由はわからないが元気になって日照りでも良く育ちました。そこで、陸稲を蒔いて、厚く土をかけ、さらに踏みつけたら良く発芽しました。水分がそこにたまり、乾燥が防げたものと思われます。一般に作物の種まきは、種厚の2倍くらいの厚さに土をかけるのが良いとされています。厚くかけて粗末に踏みつけると育ちがいい、これは人間にも動物にも同じことが言えるようです。このことから、この方法を普及させ、陸稲が収穫できるようになりました。
 

 豚も人も同じ
 豚は乳房が14〜15位あります。生まれた豚の子どもの数が親の乳房の数より少ないと、子豚の育ちが不揃いになってしまいます。
 ところが子豚が乳房の数より多く生まれると、同じように大きく元気に育つから不思議です。だから人間も同じで、大勢だと、もちろん贅沢はできず、食糧も不足するので競争になります。子どもたちは、お互い切磋琢磨することで、丈夫に逞しく育つのです。
人工田の写真
昭和30年頃掘った井戸による人工田

 豆・豆知識

 陸稲はぼそぼそしてまずい上に、いくらもとれなかったそうです{推定1反歩(10アール)あたり3〜4俵(1俵は60kg)程の収穫}水田の白いご飯は、庶民には高嶺の花で、普段は陸稲と大麦、粟のご飯でした。井戸を掘って作った人工田は、まれにある出来の良い時には、「畝取り」と言われ1反歩あたり10俵と高収穫でした。「畝取り」とは1畝(30坪すなわち1アール)で1俵(60kg)の収穫があることで、収穫が高いレベルにあり優れた農業と言えました。

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