小山の養蚕
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今月の語部は、宮下本町2丁目にお住まいの関口貞子さん、原きみさんです。 関口さんは、実家が麻溝に近い番田というところです。姥川沿いに農地があり、娘時代に養蚕をやっていました。結婚してからは、毎日忙しく休める時期はありませんでした。原さんの実家は、柚木のひな鳥山の近くでした。結婚してからはあまり養蚕はやっていませんが、結婚するまでの実家では、一生懸命養蚕をやっていました。 |
![]() 関口貞子さん(右) 原 きみさん(左) |
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![]() エガ(エビラ)ダン(蚕棚) ![]() はきたて (毛蚕を種紙から羽ぼうきで掃くように落とす) |
養蚕準備はどんなことをしましたか? 養蚕は、実家で娘時代にやっていたときの方がよくわかっていますが、ここにきてからは暗室のホルマリン消毒から始まりました。私は、ここに来てからは、蚕はやらないけれども、生まれた柚木ではやっていました。蚕の棚、えが(棚に差込む竹で編んだ平籠)、いろんな蚕に使う道具を、全部ひとつの部屋に集め、部屋の目張りをし、密封して全部一度にホルマリンで消毒しました。子どもの頃、「部屋に入るんじゃないよ」と親が言っていました。 消毒は丸1日ぐらいかかりました。それは蚕を飼うための準備の仕事で、準備期間は一週間くらい必要でした。消毒する前にすべての道具を川で洗っていました。 私は、実家の近くに川があったので、蚕を飼うエビラ(棚に差込む竹で編んだ平籠で「えが」とも言う)を川で洗いました。エビラは、12段ほどの蚕棚に差込むトレイ状の竹の平籠です。幅が1m、奥行きが1.2m、厚さが数センチくらいと記憶しています。エビラは、3尺5寸と覚えています。 |
蚕の飼育![]() |
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蚕はどのように成長するのですか? 蚕は、はきたてで一齢、その後、およそ一週間ごとに一眠〜四眠を経て五齢になります。その後、一週間で繭づくりにはいります。 蚕は、一齢毎に脱皮を繰り返しますが、その前兆がトマリと言う現象で一日くらい桑を食べなくなります。脱皮を四回繰り返して、五齢が終わると繭つくりになります。その前に最後の糞尿を出してマブシに入り繭を作り、中でさなぎになります。 蚕は5齢が過ぎると、体が透きとおるようになります。そうすると、もうじっとしていて、桑は食べません。1眠から〜4眠はやはり蚕は1日か1日一寸くらい何も食べずにじっとしています。桑はくれなくてすむけど、休むひまはありませんでした。蚕は大きく成長するので、部屋を広げたり、蚕棚を増やしたりしました。また4眠からおきれば、外へ条桑棚(蚕棚)を作って飼育しました。 私の実家では、住まいの部屋だけだと狭くなってくるので、外の物置みたいな所に、奥行きが1.5mくらい、3段の細長いベッド状の蚕棚を作りました。 蚕には餌をどのように与えたのですか? 桑をやる回数は、稚蚕のほうが多く、1日に6〜7回でした。 稚蚕の頃は桑の葉をきざんでました。食べやすいように、2ミリぐらいに細く切って稚蚕に与えました。蚕がだんだん大きくなるにしたがって、桑の幅がひろがり、与える回数も少なくなりました。 蚕が大きくなると、1日に3回から5回程度、桑を与えました。4眠から覚めると桑を食べる音が大きく、「ざわざわ」と、まるで雨が降ったような音でした。 稚蚕は、桑のてっぺんから2枚目と3枚目の柔らかい葉を摘んで与えました。桑摘みは、両方の人差し指にはめた金属製のツメと呼ばれるもので摘み、桑がしおれないように一番小さい籠で風が通りにくい「目無し籠」に入れ、大切に運びました。 桑の下方の葉は、だんだん硬くなるので稚蚕には与えませんでした。摘んできた桑の葉は、ベルトコンベアのような台に載せて送り、手動の押し切りで細く切って与えました。 私の実家では、蚕が小さいうちは、家の近くの畑で用が足りるけど、大きくなると大量に食べるのでたくさんの桑が必要になります。春蚕のときは枝を根元から切って与え、夏・秋蚕には枝を切らず、葉だけを摘んで与えました。夏蚕の時期は夏休みで、家にいて終日手伝いました。3回目の秋蚕のときは、学校に行く前に桑摘みをしました。私の家では、自宅から歩いて30分くらいかかる遠い場所に桑畑がありました。小学校5,6年のころでしたか、9月になると、朝暗いうちから30分くらい歩いて畑まで行き、大きな籠いっぱいの桑を摘み、それを背負って帰りました。その後、学校に行きました。籠は大きな籠、中籠、小籠、があり、さらに肩にかける「びく」がありました。 桑とりは大変な重労働ですが、男は父親一人で、私は長女だったので、男の力仕事も全部しました。何年もこのようなことを行ってきました。 四眠から覚める頃になると、体長が数センチになり、桑を食べる量も多くなり、食べる音もどしゃぶり降りの雨のように、ざわざわと音を立てました。桑は3、4センチもある太い枝を切って束ね、リヤカーや荷車に載せて運びました。大きな枝をもいで、そのまま蚕に与えました。雨で濡れた桑を与えると、蚕が病気になるので、軒下に吊るして水切りをしたりもしました。また、雨に備えて桑室があり、そこに保存したこともありました。 蚕の手入れはどのようにしましたか? 給桑とあみあげ(桑の葉を食べたあとの枝や蚕の糞尿などを取り除くこと)を能率よくするために、二,三齢頃までは糸網を、四齢あたりから縄網を使いました。これは、新しく桑を与える時に、これらの網を蚕の成長段階に使い分けて載せ、この上に給桑しました。すると蚕はやがてこの網の目をくぐりぬけて、新しい桑の葉を食べ始めます。そしたらこの網を持ち上げて、別の蚕座に移せば古い桑と糞便(コシリ)などは、そのまま下に残りますから、一括して堆肥として捨てました。 いつ繭をつくりはじめるのですか? |
![]() 給桑(桑の葉を与える) ![]() 縄網で除沙(コシリとり) ![]() 条桑棚での飼育 (2段、3段の蚕座) |