大沼の歴史紹介
大沼の開拓は元禄12年(1699)から始まり、大沼新田と名付けられ麦や粟、稗などが作られました。
その頃大沼は淵野辺村の一部で、境川沿いに細長く点在していた集落からは、はるかに離れた村の南部にあり、
雑木と萱に覆われ起伏の激しい荒地で開拓は困難を極めました。
検地は宝永4年(1707)検地役人江川左兵衛手代ほかによって行われ、一時幕府直轄領となりましたが、その後下野烏山藩領主大久保氏の所領となり幕末まで続きました。
しかし、土地が肥沃でないため作物の収量が悪く、やがて薪炭材の生産や炭焼き、養蚕などに生業を移して行きましたが、
大沼は独特の宙水地帯であるため、大雨が降ると沼の水が溢れ人々の苦難は絶えませんでした。
やがて村人の協力により、排水溝(豊口排水溝)を築いて克服し、平和で豊かな村へと発展して行きました。
開拓時代の面影と自然が残る大沼には、多くの史跡や石仏が残されています。白蛇伝説や倒木起立伝説のある大沼弁財天(現大沼神社)、千手観音が祀られる大沼観音堂、大沼新田通り、道者みち(大山道)、狐伝説のすり鉢窪、弘法大師の杖が根付いたと言われる逆さ欅、大沼溢水の排水路跡などのほか石仏も多く、道祖神をはじめ庚申塔や地神塔、馬頭観音塔、子育て地蔵などが残されています。
歴史と自然の残る大沼を、一度訪れてみませんか。
資料提供・大沼公民館文化部
太田元一
|
|