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☆  小山の道しるべ  ☆

 このページでは、宮下を中心にあちらこちらにある、小山地区の歴史的遺物などを地図と年表で紹介しています。
 また、小山地区の歴史は小山の昔語りのページでも紹介しています。
地図で遺物の場所を知る。
年表で遺物の位置づけを知る。

小山の遺物年表
各遺物の位置を地図で見ることができます。各遺物の説明の末尾にある地図番号をクリックすると遺物地図にその番号の位置を見つけることができます。


太古の昔




天縛皇神社
天縛皇神社

1532年に、当時の村の鎮守の社として創設されました。毎年8月には祭りが開催され、大変賑わいます。(宮下本町3丁目)
地図(い)





秋葉山大権現常夜燈
秋葉山大権現常夜燈
防火と防犯の神様として、1808年に建立されました。その名のとおり、夜になると火を灯したそうです。そばには、工事などの関係によって移動されたいくつかの遺物があります。(宮下本町3丁目)
地図(う)
江戸街道の碑
江戸街道の碑

公民館にある江戸道の碑から北へ500mほど進んだところに、もう一つ碑があります。 
ここに「江戸街道」とあります。(宮下本町2丁目)
地図(あ)
六地蔵
六地蔵
子どもの死亡率が高かった時代に、子どもたちの健やかな成長を願って建てられたといいます。平成3年、新しいお地蔵様に生まれ変わりました。右端の石仏は、1814年に建立された薬師如来像です。(宮下本町1丁目)
地図(さ)
庚申塔
庚申塔

江戸街道の碑の近くにたたずむ石仏。庚申塔といい、小山地区に残る遺跡の中でもかなり古いものだとされています。遠い昔から道行く人々を見守り続けてきたのでしょう。(宮下本町2丁目)
地図(か)
堅牢塔
堅牢塔
江戸時代末期、豊穣を願って建立されたとされています。(宮下本町2丁目)
地図(き)
太子堂
太子堂
聖徳太子を祀り、1846年に建立されました。当時、職人たちがこの祠の前で、年間の手間賃の協議をしたといわれています。(宮下本町2丁目)
地図(く)







蚕影神社
蚕影神社
昔、この地域では養蚕が重要な産業であったことから、蚕が無事に成長することを願って建立されたものであると考えられています。(宮下本町2丁目)
地図(お)
馬の墓
馬の墓
宮下本町のもみの木広場の北側、原さん方の北側道路のブロック塀の中に小さな石が埋め込まれるように立っています。
 これが馬のお墓だそうです。馬を大切にしていたことがわかります。
地図(え)
大正橋
大正橋
かっては「寺橋」と呼ばれていました。その昔、この橋の上で花嫁行列が襲われ、花嫁がさらわれるという騒動があったことから、「嫁なし橋」とも呼ばれたそうです。(宮下本町2丁目)
地図(け)
米軍相模原補給廠
米軍相模原補給廠
戦時中は相模陸軍造兵廠という施設で、戦車や砲弾などの兵器を製造していました。最盛期には、11,000人以上が働いていたそうです。(小山)
地図(こ)

現代

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小山の遺物地図

遺物の名前の上をクリックするとその遺物の説明を遺物年表の中に見つけることができます。

道しるべ地図
江戸街道の碑
天縛皇神社
秋葉山大権現常夜燈
馬の墓
蚕影神社
庚申塔
堅牢塔
太子堂
大正橋
相模原米軍補給廠
六地蔵

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