


公民館は、戦後の荒廃し混乱した社会状況の中で、新しい日本を築き上げるには教育の力が必要であり、その一つの核として公民館の設置が提唱され、郷土再建の拠点としようとするところから始まった。
昭和24年、社会教育法の施行により、「町立公民館設置条例」が制定され、青年団などを中心に、地域住民の寄付金や募金活動もあって、すでに活動基盤のあった大沢公民館と上溝公民館が町立公民館として設置された。
この頃の公民館は、施設は学校の講堂や役場出張所の会議室、運営は公民館運営審議会や地域住民が主体となって組織された専門部、そして職員は教職員や市職員の兼務という状況の中で各地区に展開された。いわゆる独立した建物を持たない「組織公民館」であった。
その後、昭和44年に上溝公民館が初めて施設、予算、職員体制が整備された独立公民館として完成した。このことは、他の地域に大きな影響を与え、その後の公民館整備に拍車をかけていくことになった。
昭和49年に相模台公民館が独立公民館としてオープンしてから、急ピッチで建設が進められ、昭和60年には旧市全地区の公民館が施設を持つ公民館となり、その後、市町村合併もあって現在は32館体制となっている。
相模原市の公民館は、変動する社会情勢のなかで、常に地域の社会教育を推進する中心的施設で、学習・文化・スポーツや、青少年の健全育成などの様々な活動に関わる地域づくりの拠点として、重要な役割を担ってきた。
昨今の急速な情報化、少子高齢化の進行、ライフスタイルの多様化など、社会情勢が大きく変化する中で、生涯学習社会における市民の学習ニーズは高度化・多様化し、一方では、人と人との交流におけるコミュニティ意識の希薄化も危惧されている。
今日まで蓄積されてきた公民館活動の成果を生かし、これまで以上に住民主体の視点に立った公民館運営や、多様な学習機会の提供、学校や企業、NPO等との連携など、公民館は「地域づくりの拠点」であり続けるためにさらなる改革を進めている。
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